わが町紹介・中津川周辺


           

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わが町紹介〜卯建(うだつ)のあるまち、中津川〜

 「あなたは卯建を知っていますか?」よく卯建が上がらないという使い方をする言葉です。卯建とは火災の際類焼を防ぐ為の防火壁で、隣家との境の屋根をもう一段高くした物です。裕福でないとなかなか卯建が上がらない為、前述の言い回しが出来た と言われます。中津川にはこの卯建の残っている家がまだ数家あります。 なぜ、中津川に卯建のある家が在るのかと言いますと、中山道(江戸時代の主要5街 道のひとつ)69次のうち、45番目にあたるのが中津川宿です。中山道は東海道の裏街道という性格は強いものの、東海道のように河川の洪水による通行止めがなく、 安心して旅が出来る為、幕府の旗本や女性の長旅に、幕末の皇女・和宮の東下りのように姫宮の通行は中山道が使われていました。また、中津川宿は木曽と美濃の間に位 置し下り(東行き)では木曽に向けてのいっぷく、上り(京行き)では長い木曽を抜 けてのいっぷくの宿として栄えました。長野県境には島崎藤村の書による「是より北木曽路」という碑が有り、当時をうかがえます。このように中津川宿は街道の要所と して、周辺の商業の中心として栄えていました。また、中津川宿は苗木城(木曽川沿いの高台にあり中山道を一望出来る位置に在る)の遠山氏の城下町として機能もあっ たようです。そのため卯建が上がる家があったのだとされています。みなさん、某お 吸い物製造業のお吸い物に安藤広重の「中山道六十九次」の浮世絵が付録として入っていたのをご存知では有りませんか?この中に中津川宿の浮世絵も入っております。

 また、1997年の6月に発刊された、内田康夫著書の「皇女の霊棺」に中津川の記載が有ります。このページに張り付けた画像の脇本陣の前で浅見光彦と若いカップルが交通事故を引き起こしたのだな等と思いながら、まだ読んでいないようでしたら、一度読んで下さい。

 さて、現在の中津川市は岐阜県の東美濃の東部に位置し長野県との県境になります 恵那山(中央アルプス最南端の主峰で標高2,191m、美濃随一の名山として知られ「日本百名山」にも取り上げられている)に抱かれ、木曽川、その支流の中津川、落合川 と山紫水明の地で、春のツツジ、桜、夏のキャンプ、秋の紅葉、冬のわかさぎ釣りと 四季を通じ観光することが出来ます。また、文学作品として島崎藤村の「夜明け前」 で恵那山等の記述が有名です。 中津川市の人口は56,314人(平成9年7月1日現在)、名古屋までJRで1時間10分ほどで、名古屋のベットタウンとして一時人口が増加していましたが、現在は人口は横ばい状態です。市行政としても中核工業団地の建設、公園の整備などをし てなんとか過疎化は防いでいるという現状です。