もろ すぎ さま
室杉様(松源寺)



室杉様▲
 憩いの家やすらぎの谷をへだてた西側に、阿弥陀瀬(あみだせ)という字があります。そこから二百メートルほど登って行くと、小さなお宮があり、そこに室杉様が祭ってあります。
 室杉様とは、九州の筑紫という所に室杉松源という武士がいて、その娘に萩(はぎ)という、大変美しい心のやさしい人があったそうです。
 お萩さんは、行者になられて諸国を巡礼しながら、阿弥陀瀬へたどりつかれたそうです。ふとしたことから、湧き出る清水が皮膚病によく効くことを土地の者にお聞きになり、そこに庵を建て風呂を作って、病に悩む人々を心よく迎え治されたお方だそうです。
 文化十年(一八一三)に町組村中で常夜燈が一基献納され、御神体は明治のはじめに坂下神社へ祭りこまれましたが、明治十六年に元の場所へもどされました。
 祭りは毎年四月十日で、阿弥陀瀬二軒で長い間続けてみえましたが、終戦をさかいにして、松源地のお宮として部落中ですることになり、現在は四月十日に最も近い日曜日を祭りにし、幟(のぼり)を十本ほどたて、各自重箱持ち寄りでお神酒をくみかわされます。  婦人会主催のバザーも開かれ、あんころもちやおでんは、お宮まで到着せぬうちに半分位売り切れてしまう盛況だそうです。
 中津方面からのお参り人も十人位あるそうですが、昔は近隣町村から、瓶を持って水を汲みによく見えたそうです。
 谷一つへだてた、やすらぎの泉源とお萩さんの風呂の湯元はすぐそばです。
 やすらぎの薬師如来は、文政五年(一八二二)に建立されているところから考えると、随分昔から皮膚病に効くことで名高かったのです。
 室杉様には、こんな伝えばなしがあります。

 安永か明和の頃の話になると思います。
 昔、このあたりには、うっそうと木がおい茂り、狐や、狸もたくさんおりました。お萩さんは、心がやさしく美しいお方であったので、動物たちも大変なついて、夜になると、庵のまわりにたくさん集まって来てお萩さんをお守りしたそうです。
 お萩さんは、名前の通り萩をたくさん植えて楽しまれ、秋の花盛りには、部落の人々や村の人たちをよく招いて、花見の宴を催されたそうです。
 また、お萩さんは、植林の精神もお忘れなく杉の木をよく植えられたそうです。
 皮膚病で困った人は、ここの湯をおとずれてくると湯の効き目か早く、その上お萩さんの力で、不思議にもよく治ったので、はやったそうです。
 歳老いて余命いくばくもないと悟られ、
 「私が死んだ後は、萩を供えて参ってくれる人には、必ず病をなおしてあげるよ。」と、よく言われていたそうです。
 それから、いくばくもたたないうちに萩を燃やして灰とおきをたくさん作り、経を唱えながら、その中へとびこまれたそうです。
 それから後は、お参りに行く時には、萩を五寸位に切って糸で編み、まわりの垣根にかけてお参りをすると、よく治ったそうです。
 お萩さんがなくなられてから、このあたりの日暮し蝉は、
 「筑紫が恋しい。筑紫が恋しい。」
と、よく鳴いたそうです。



参考文献と話を開いた人
やすらぎ…坂下老人クラブ
みかえりの松…坂中文芸部
西 尾 一 郎(松源地)
糸魚川 貞 二(松源地)
古 村 敏 郎(松源地)
西 尾 善 一(松源地)