横吹き地蔵 (握)


 中津街道(犬帰り道)は幾多の歴史を秘めて現在をたどっております。たとえば、日露戦争の出征には西方寺から握を経て、下外を横切り横吹きまで見送り、なごりをおしみ涙を流して出征したのです。
 また、中央線が中津川までしか開通してない頃、横吹きの道はずいぶん賑わいました。そして、この道は年貢米を運ぶ道として延享元年(一七四四)甲子にひらかれました。
 下外からはずれて木曽川の上方(中央線のすぐ上)に、万人がうっとりとするようなとても気品の高いお地蔵様が、絶壁にそびえる巨大な岩石の中腹に、よどかけをつけて中空をじっとみつめて正座してみえます。そのお姿を拝するものは思わず手を合わせたくなります。
 握の氏神様(五社神明神社)設置は、庄屋吉村八郎右衛門が中心になって、何度も苗木藩干へお願いに上がり、それが許可されました。郷の願いの神社建立をして、そのお礼に年貢米を運ぶ道を作ったのです。
 このお地蔵様には、こんな伝えばなしがあります。

「おーい。」
「何んや。」
「これまで、何度も何度もお願いした神明神社が出来るようになったぞ。
「なんや、本当かえも。」
庄屋吉村八郎右衛門から出た御触れで、握一帯に喜びと、どよめきが口から 口へと伝わっていきました。今まで不毛の台地と言われた渥では、水不足に毎年のように悩まされ、そのうえ難病が発生し、握の衆にとっては、願っても願い切れなかった神明神社の建立が苗木藩主より許可されました。
 「もう、これからは神様の御念力が、俺んたあをお守りくださるんだ。」
 「一生懸命、出役に出て頑張るぞ。」
 「そうや、そうや。」
 庄屋八郎右衛門を中心に、見事な郷の人達の協力と働きによって、すばらしいお宮の石垣が築かれ、宮大工の手によって棒に彫刻かほどこされた立派な社が出来上りました。この完成によって、みんな水不足と難病をお守りくださるんだと心より喜びました。
 さて、その上に坂下の年貢米を運ぶには、握から下外を通り瀬戸へ通ずる道を作ることが極めて大事になってきたのです。実は、それまで上野を通る飛信街道か、それに極めて困難であった高峰中復(鏡野)を通っていく木曽古道しかなかったのです。
 庄屋八郎石衛門は、瀬戸の庄屋後藤への協力をお願いし、神社建立設置のお礼も兼ねて道の建設にとりかかったのです。
 工事は、予想もしなかった難所続きでした。横吹きの山は天へもとどくような急斜面ばかりで岩がごつごつとつき出ており、潅木か重なるように乱れておい茂り、人間と自然との戦いがここに始まりました。
 まず測量です。昼も暗いような潅木の林から林へ、谷から谷へ、木曽川を目印にして進め木を切り開いていきました。大変な労働と神経が費やされました。
 いよいよ工事です。木を切り倒した後を、鍬や鶴嘴でもって岩石と人間との戦いか始まったのです。なにせ巨大な岩石にぶつかると岩の下へ鉄棒で穴をあげるようにして、藤縄を入れ、人間の力で引っぱり出して木曽川や谷間へ落して行くのです。そんなやり方ではなかなか工事は捗どりません。炎天下のもと玉汗が滝のように流れ出し、もうみなへとへとです。
 「おい!ちょっと休むぞ。」
 「口かまったくかわくなあ。」
 「暑くてかなわんなあ。」
 「ぶっ倒れるようだ。」
そんなことをいいながら休み、腰をおろして寝そべれば、木曽川から吹いてくる涼しい風に疲れがとれるのです。
 ところが、そこへ大きな蛇が、あちらからも、こちらからも目の前に現われてくるではありませんか。梅が谷附近は日当りがよく潅木がおい茂り、湿地もあり、蛇の絶好の住いだったのです。あまりの大きい蛇に肝をひやすことすらありました。
 しかし蛇に気をとられてばかりはおれません。工事は毎日毎日続けられます。巨大な岩石は、火をたいて水をかけてわったり、岩にのみで穴をいくつもあげ、樫の木を矢にして打ちこんで割る方法をも用いて切り開いていきました。
 八割方、完成した頃、巨大な岩石が、人間の力に負けて木曽川へどっと落ちて行ったかと思うと、思いがけなく、岩と岩との間からきれいな水が湧き出て来ました。仕事をしていた人達もあっとばかり働く手をとめて、きれいな冷たい水を両手ですくい何度も何度も口をうるおしました。
 「これこそ天の救いの水だぞ。」
 「うわ!まったく冷たい!うまい水やのう。」
 「本当や、本当や。」
 「こりゃすごい水や。有難いのう。」
この清水が湧き出てきたことによって人々は元気づけられ、工事は急ピッチで進み、まもなく見事に完成した道は犬帰り道と名付けられました。
 岩から湧き出る水は年中絶えることなく湧き出てきます。そして何時からともなく岩清水と名付けられ、この清水をつけると耳だれや疣が治ると口から口へ伝わりました。
 道の完成と合わせてお地蔵様を泉州の石屋善兵衛の手によって建立し、道行く人の安全を願いながら何時の間にかよどかけを作って地蔵様にかけてやるようになりました。そして、四月二十四日には、毎年握の人達によってお祭りがささやかに行われているのです。



▲握にある横吹き地蔵


参考文献と話を開いた人
日本歴史大辞典…小学館
みかえりの松……坂中文芸部
林 彦太郎(握)
森 吉吾(下外)
原 新助(相沢)
早川まつ(下外)