せい かん ぼう
清簡坊 (握)

▲握にある清簡坊

 握の墓地の反対側の山に、清簡坊を始め、南無阿弥陀仏、寓霊塔、南無観世音菩薩等の石塔が建立されております。
 その中の清簡坊は、享保十四年(一七二九)己酉八月吉日に当村中によって建立されたものです。
 その後、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で打ちこわされ、首がなくなり放置されたままでしたが、何年かたったあと、握の人達の手によって、首だけを作り建てられておりました。
 昭和三十四年、伊勢湾台風によって松の大木が根こそぎに倒れると、清簡坊の首も松の根本から山てきました。喜んだ部落の人達は早速取りかえました。長く御苦労であった代用品の首は、その横に置いてあります。
 清筒坊とは、半僧坊と同じことで、お寺を建てお坊さんをお迎えして先祖代々を供養してもらうのが本当ではあるが、費用がかかりすぎて出来ないので、その代用を兼ねて仏の供養をしていただくためで、坊さんの半分位いだから、半僧坊とか清簡坊とか勝手な名前がつけられています。


参考文献と話を開いた人
林  彦太郎( 握 )
原  新 助(相 沢)
吉村  勇(中  外)