せん どう げん し ろう きょう だい
仙洞源四郎兄弟と白犬(本郷)


 上野の本郷の南側に、昔、仙洞源四郎兄弟が匿われながら住んでいたと伝えられております。
 何時頃の話かわからないが、多分戦国時代の混乱から江戸の世の中になったばかりのことであろうと言う話です。
 この頃は、末端ではまだまだ小さな争いが絶えなかったのです。そこへ、仙洞兄弟が落武者として、この上野の山奥へ辿り着いて住みついたのではないかと言われています。
 仙洞兄弟が住んでいた事については、村人は隠しに隠して語り伝える事をためらっていました。
 現在、川上の奥屋入口から入った勝負が平の横に、松平明神として祀られ、毎年三月十六日に、ひそかではあるが祭りと餅投げが行なわれ供養がされております。
 松平様の祀の裏に松の大木があり、その枝が京へ向いていると言うことから試験に合格するとかで、上野の方からお参りに行ったそうです。
 川上では、この松の皮をむくと血が出るとか言って恐れられていたそうです。いずれにせよ大木は、今は枯れ朽ちて無惨にも横倒しになっています。
 戦に敗れた仙洞源四郎兄弟は、茂みの深い安全な場所を選びながら上野の本郷へ着いて、ここで隠してもらいながら暮らすことを決心したのです。
 このあたりは、人家はぽつんぽつんとあるだけでした。生活は苦しいながらも純真な百姓ばかりで、仙洞兄弟をかくまっていました。
 武士である仙洞兄弟は、田や畑の仕事を手伝い、世間の話や戦いの話を聞かせ、まわりの土地や家に武士に関係のあるものをつけました。壇城(だんしろ)、釜戸、大屋、竹腰、向井戸、堀ノ内、坪ノ内等をつけたりしておりました。
 また源四郎は、白い犬を非常に可愛がり、平隠な日々を過ごしておりました。


松平明神(川上村)▲
 しかし、日がたつうちに迫手が聞きつけてこちらへ来ることが伝わってきました。慌てた源四郎兄弟は家をとびだし、愛犬をつれて川上のほうを目ざして逃げ出しました。
 息せき切って青梨まで来た時、源四郎は弟に、
 「金を持っていては都合が悪い。うまく逃げられたらここへ持ちに来よう。」
と言うが早いか、すぐさま地を堀ってお金をいけて目印に白のつつじをさして走って行きました。
 どんどん行くうちに、川上の紙屋へきました。そこで、
 「私共が通って行ったと言うことを、誰が来ても言わないようにしてもらいたい。そのかわり、この槍をやろう。」そう言って、勝負が平へ逃げ隠れました。
 迫手はかぎつけて、紙屋へきて、
 「こりゃ、この辺を白い犬を連れた者が通りゃせなんだか。」
 と、尋ねました。すると紙屋の人は黙っていましたが、何度も聞かれるうちに、ふと逃げた方向へ顔を向けてしまいました。それを察知した迫手は、「よしや。」とばかり足を速めて奥屋沢を駈け登りました。すると大きな岩があり、それに近づくと、急に白犬が吠え出てしまいました。源四郎は、思わず息を飲み込みました。遂に、勝負を決することになり、仙洞兄弟はよく戦いましたが、大勢にはかなわずあえなくも最期を遂げてしまいました。
 しばらくたってから、村人は仙洞兄弟の哀れをしのび、あつく葬り松平明神として祀りこみました。
 白犬のために殺されたことがわかった本郷の南側では、犬の崇を恐れて壁は絶対に白を塗らないようにしたということです。
 さて、時は流れて明治になり、百姓も名字が許されるようになったとき、仙洞、仙藤を競ってつけましたが、その紋章に菊の一部分が入っていることがわかると、仙洞、仙藤の名字をさけてちがった名字にしたと言う話らしいが、今なおこの附近には、仙洞、仙藤の墓があちこちに見られます。


参考文献と話を開いた人
鷹の湯……坂中文芸部
前田 守夫(本郷)
田口 精一(本郷)
古田 しず(本郷)
西尾 益太郎(本郷)
曽我 甚吉(本郷)
交告 雄幸(本郷)
田口 干年(本郷)
山内 総爾(小野沢)
桂川 巴(川上村)