あま ご い いわ
雨乞い岩(中外)



雨乞い岩▲
 中外の法力屋の横のほうに、すこし赤ずんだ岩があり、それを雨降り岩、雨乞い岩などと今でも呼んでいます。
 叩くうちに掘れたと言われる、卵ぐらいの大きさの穴が十ぐらいあいております。
 その昔、何時になくその年は空梅雨で、もう何日も雨が降らず、田には地割れが入り、百姓は田植えをしようにも水がなくほとほと困っておりました。
 それどころか、ついに飲み水にも事を欠くようにもなり、百姓共は、毎日真赤な太陽を見ては、溜息ばかりついていました。
 そんなある日、見るからに身なりの悪いボロボロの衣をまとった旅の坊さんが、百姓共に雨を降らせてやろうとやってきました。
 早速、坊さんは
 「天の龍神様に雨乞いをしよう。」
 と言いましたが、百姓共は、
 「おおい、あんなどこからきたともわからんような坊主に、俺んたあのことがわかってたまるもんか。」
 「そうやそうや、あんな糞坊主は雨なんか降らせられるものか。それよりも飯くらいにきたのやら。」
 そんなことを言って、耳を貸そうとしませんでした。しかし、坊さんは何か考えでもあるのか、百姓にはおかまいなしに、鐘を鳴らしてお経を唱え始めました。それは、とても高い美しい声で、天までとどくように空一杯響き渡りました。そんな坊さんの姿や美しい声を聞いて百姓共も心を動かされ、ついに坊さんと一緒になってお経を唱え始めました。
 百姓の皺枯れた声と、坊さんの美しい声と、鐘の澄んだ音とがよく調和されて、青く高く初夏の空に響きひろがりました。
 そのうちに、坊さんが一生懸命鐘を叩いていると叩き棒が折れてしまいました。それで坊さんは仕方なく小石を拾って“チンチン”と鐘を叩きお経を唱えつづけました。
 あんまり一生懸命たたくので、今度は鐘が割れてしまいました。仕方なく今度はすぐ側の岩を小石で叩き始めました。気のきいた百姓は、坊さんに習って石をいただき叩き始めました。夜になっても叩きつづけました。
 お茶や炊き出しの飯を持ってきたおっかあたあや、おじいやおばあも一緒になって一生懸命叩き始めました。
 夜空はいやが上にも星が輝き、石を叩く音は高くなり低くなり、お経を唱える声が天に届くほどになりました。
 何日続いたであろうか。徹夜で岩を叩き、経文を唱え続けているうちに、夜が白々としてきた時、東の空が朝焼けで真赤になりました。昔から朝焼けは雨降りの前兆だといいます。真赤だった空にだんだんと黒雲がひろがりはじめ、それが空一杯にひろがりました。
 やがて、ポツリポツリと雨が降り、しだいに雨が激しく降り、田畑の作物は生きかえってきました。百姓共は、うれし泣きに泣き、岩に抱きつく者、天を仰いで拝む者、田畑をとび廻る者、そして抱き合って泣く者、もうみんな雨と涙でぐちゃぐちゃになりました。
 みんなは大喜ぴではしゃいでいたが、気がついて見ると、坊さんの姿はありません。みんなは手わけをしてどこを探してもわかりませんでした。
 きっと弘法様が、この小さな百姓共を救おうとして、やってこれたのにちかいないと言い合いました。
 それからというものは、この岩を雨乞い岩と呼ぶようになりました。




参考文献と話を開いた人
鷹の湯……坂中文芸部
原 恭夫(中外)