傷をおわせた猪(下外)


 昔(明治になる前)下外の外れを中津街道が通り、旅人や所用の人が横吹きのお地蔵様の横のとってもおいしい岩清水で口をうるおし、ひと息いれて通行していました。
 外川に、丸木を幾つも組んだ橋がかかっていました。そこを右へ折れて外洞を縦断すると上野へ通ずる道につながります。
 そこの近くに、でんとした屋敷がありました。
 その頃の外洞は、人家が疎らで山の木に包まれた静かな風景でした。
 さてさてお話は、ずっと前のことじゃ。美之介(坂下病院加藤先生の祖父)さのじいさま紋治さんの七つの頃の話じゃわい。
 紋治さは、昼の御飯食ってなあ、横吹きの田んぼ道登って、山へ遊びながら茸とりにいきようた。
 そうしたらなあ、高峰山の岩穴に、寝そべってけつがりょったでっかい丸い猪が、ススキをわけて餌食いに人里へどえらい勢いで飛んできやがった。
 びっくりこいた紋治さは、だまってよけりゃよかったに、そこは子ども。ウェーウェーとでっかい声を出したのさ。
びっくらこいたのは紋治さばかりでのうて、猪もびっくらこいたわけさ。
 曲がることの出来ない猪め、まっすぐに走りこいたわけさ。紋治さを押し倒して人里へ餌食いに飛んでいっちゃった。紋治さはのびちゃうとこさ。
 それから、ちょっとたって這い起きて、またウェーウェーと泣き出したら、猪のやつどこからか折りかえしてきて紋治さと衝突さ。そしたら頭から血が出てのびちゃったくらいさ。
 そいで、だまっていればいいものを、そこは子ども。今度は、どえらい声を出して、ウェーンウェーンと泣きじゃくると、猪しや、またどこからか引きかえしてきて、紋治さめがけて突いたわけよ。紋治さ、顔中血だらけの大怪我よ。
 後から聞いた話だが、声出して騒ぐと猪のやつ憶病だから、飛びかかったりするらしい。
 それにしても、子どもに三度も飛びかかるなんて大糞猪め!。
 この話は、相沢の原新助おじいが、子どもの頃、おばあの膝の中で聞いた話だとさ。




参考文献と話を開いた人
原  新肋(相沢)
林 彦太郎(握)